【原文】
苗而不秀者有矣夫、秀而不實者有矣夫。
【書き下し文】
苗にして秀(ひい)でざる者あり、
秀でて実らざる者あり。
【現代語訳】
苗のまま芽を出さない者もあり、
芽を出しても実らない者もある。
【私見】
本言は「子罕第九篇」です。
「苗のままで芽を出さない生徒(患者)」とは、なかなか勉強(治癒)の成果をあげられない者のこと。
「芽を出しても実らない生徒(患者)」とは、勉強はできる(心体はよくなっている)のだけれど、学んだことをいかせない(現存在*を世界でいかせない)者のこと。
皆さんはどのように感じられますか?
この言は単に「出来の悪い生徒(患者)がいる」ということを嘆いているわけではないはずです。
「先生」と呼ばれる方には多くの生徒(患者)がいらっしゃることと思います。そしてその生徒(患者)たちは様々な苗であり芽であることでしょう。
「先生」と呼ばれる方々は、その苗や芽がいつか芽吹き実ることを信じ、太陽となり雨となり親身になって「傍らにあり続けること」に喜びを見いだせる人が「先生(先に生まれる)」と呼ばれるに相応しい(君子)のではないでしょうか。
教師として、治療者として、かく在りたいものですね。
*現存在とは、実在哲学では人間の存在のあり方そのものを意味する語